羽根つきや凧揚げ、福笑い、かるた、コマの回しといったものは、お正月に特有の伝統的な遊びとして知られています。
今回提案するのは、家族との素敵なひとときを過ごすためのお正月の遊びです。また、お正月にこれらの遊びが行われる背景や意味についても詳しく紹介していきます。
これらの遊びや玩具を通じて、子どもたちの知恵や成長を助ける伝統的な日本の遊びは、大人の方々にも喜ばれ、保育の現場にも活用されているのです。
昔ながら遊びにはメリットがいっぱい! お正月遊びを紹介
お正月と言えば、羽根つきや凧上げなど、古き良き時代を彷彿とさせる遊びを思い起こされるかと思いますが、これらを実際に体験された方は案外少ないのではないでしょうか。
実は、これらの遊びは多くの魅力に溢れています。 世代間での楽しみや、祖父母から孫への伝承の楽しさは、ほかにはないものです。
日本の伝統的な遊びは、子どもたちの知恵や成長を助ける素晴らしい効果が期待できます。そのうえ、家族との素敵な思い出作りに最適です。
そこで、家族と一緒に体験したいお正月の伝承遊びを10種類、ピックアップしました。
では、遊びの背後にある意味や、子どもの発達や家族の絆を深める役割にも目を向けて、さっそくみていきましょう。
あたし、遊ぶのすごい得意だよ!
じゃあ、今度ゆっくり見せてもらうね。
「羽根つき」の背景・起源と楽しみ方
お正月といえば、羽根つきは定番の遊びの一つです。
この遊びの起源は、遠く中国まで遡ります。中国では、羽根に貨幣を取り付けて蹴るような遊びが存在し、それが室町の頃に日本へと伝わりました。
『看聞日記(かんもんにっき)』(1432年)には、宮中で羽根つきをして負けた者が、お酒を振る舞ったとの記載があります。
次第に、羽根つきは厄を払う効果があるとの認識が広がり、江戸期には、年の瀬に邪気払いのための羽子板を贈る風習が定着しました。特に、浅草の羽子板市が知られています。
また、羽根そのものにも意味が込められています。
羽根に用いられるムクロジの実は「無患子」と表記され、子が病気にならないという魔よけの意味合いを持つことから、女の子の初正月には羽子板を贈る慣習が誕生しました。
また、羽根の飛び方はトンボに似ているとされていました。
『世諺問答(せいげんもんどう)』(1544年)には、トンボのような飛び方をして、蚊に刺されないようにとの意味があると述べられています。
この当時から、蚊は、特に子どもに病気を感染させる原因の一つだったのです。
このように、羽根つきは新年の厄を払い、子どもたちの健全な発展を祈願するものとして、親しまれるようになりました。うまく打てないと顔に墨を塗られるのも、悪を遠ざけるための風習です。
羽子板には、美しい押し絵で飾られたものもありますが、遊ぶには、遊び専用のシンプルなものを用いましょう。
遊びの方法は2つです。
1つは「突き羽根」、または「あげ羽根」といい、ひとりで何回続けて打てるかを競います。もう1つは、「追い羽根」といって二人で相手と打ち合って競争する形式 です。
「凧揚げ」の背景・起源と楽しみ方
日本の伝統的なお正月の楽しみの一つに「凧揚げ」があります。起源は中国にあり、そこでは占術や戦術の一部として利用されていました。
平安の時代に日本へと伝わり、当初は貴族の間での娯楽でしたが、戦国の頃には、敵の位置を確認する手段や、遠くの敵地に火を放つための道具としても使われています。
江戸時代に入ると、男の子の生まれを祝う行事としての凧揚げが始まりました。そして、多くの人々の間で、遊びとして親しまれるようになったのです。
高く空に昇る凧は、人々の願いを天に運んでくれると信じられ、子どもたちが健康に大きくなるようにとの願いを込めて揚げられました。
また、「立春の季に空に向くは養生のひとつ(立春に空を見上げることは健康維持の一環、の意)」との古い言い伝えがあり、このことから立春に凧揚げをする習慣が生まれたとされています。
かつて、新しい年が立春に始まったことから、新春の祝いとして凧揚げが行われるようになったのです。
楽しみ方はさまざまで、高く揚げるだけでなく、ほかの参加者の凧と「凧合戦」や「凧喧嘩」といった対戦も行われます。
なお、西洋式の凧は「カイト」と呼ばれています。
今日では、ゆったりと凧を上げるスペースが少なくなってしまいましたが、お正月の伝統として、機会があれば体験してみてはいかがでしょうか。
「かるた」の背景・起源と楽しみ方
日本の伝統的な遊びである「かるた」は、詠み札(よみふだ)と絵札(えふだ)を使用したゲームです。主に「百人一首かるた」と「いろはかるた」の2つのバージョンが知られています。
「かるた」という名前の起源は、ポルトガル語にあるといわれているのが一つの説です。このほかに、日本での始まりは平安時代の貝合わせに関連しているという説もあります。
「百人一首かるた」とは
「百人一首かるた」は、平安時代に作られたさまざまな歌集から選ばれたもので、それを集めたのが鎌倉時代の藤原定家(ふじわらのていか)による「小倉百人一首(おぐら ひゃくにん いっしゅ)」です。
このゲームは、かつて宮中で楽しまれていました。
その後、江戸時代の技術革新により一般の人々の間でも人気を博すようになり、特に、お正月の楽しみとして親しまれるようになるのです。
「いろはかるた」とは
一方、「いろはかるた」は、日常でよく使われることわざを元にしたもので、子供たちが遊びながら言葉や意味を学べるように作られました。
興味深いことに、このかるたの内容は地域によって異なることがあります。
たとえば、「い」は、江戸では「犬も歩けば棒に当たる」ですが、京都では「一寸先は闇」です。同様に、「ろ」も江戸では「論より証拠」ですが、京都では「 論語読みの論語知らず」となっています。
2人でも遊べる「坊主めくり」を紹介
かるたで遊ぶには、基本的に最低でも3人以上が必要です。しかし、2人きりの場合や文字をまだ読めないお子様向けに、「坊主めくり」という遊びがあります。
遊び方は、百枚の絵札を裏向きにして並べ、参加者が一つずつめくっていきます。
各絵札には特定のアクションやポイントが与えられ、最終的に最も多くの札を持っている人が勝利となるのです。
また、坊主めくりには様々な変則ルールも存在します。
たとえば、男性の絵が描かれた札を引いた場合は場に置くけれど、女性の絵が描かれた札を引いた場合は前に出ている札を全て取得する、などです。
坊主めくりを始める前に、参加者間でルールを確認しておくとよいでしょう。
「福笑い」の背景・起源と楽しみ方
古くから親しまれている「福笑い」の起源は、実は明らかではありません。しかし、明治時代にはお正月の伝統的な遊びとして人々の間で人気を集めていました。
このゲームは、目隠しをし、顔の輪郭が描かれた紙上に眉や目、鼻、口を正しい位置に配置するものです。完成した顔がコミカルになることが多く、その面白さを楽しむのが醍醐味です。
おかめやお多福、ひょっとこなどの伝統的なキャラクターが多く用いられています。
「笑う門には福来る」という意味合いも込められており、新年にピッタリのゲームとして位置付けられているのです。
遊びのルールは固定されておらず、面白くて笑わせる顔を作った人が勝者となる場合や、正確な配置で顔を完成させた人を勝者とするなど、遊ぶ人たちの合意によってさまざまです。
家族みんなの似顔絵を使って、オリジナルの福笑いを試みるのも楽しい選択肢の一つでしょう。
「双六(すごろく)」の背景・起源と楽しみ方
「すごろく」といえば、お正月に欠かせない遊びの一つとして知られています。
元々、すごろくには「盤すごろく」と「絵すごろく」の二つのバリエーションが存在し、それぞれの遊び方に特徴がありました。
「盤すごろく」とは
盤すごろくは、2人での対戦が基本です。
将棋の盤に似た盤上でサイコロの出た目に従い、多くの駒を進めるものです。このゲームの名前は、双方に6のマスがあることからきています。
非常に古い歴史を持つ遊びで、古文献にも記述が見られ、正倉院にもその遺物があるほどです。
かつては嫁入りの際の道具としても用いられたりしましたが、現代ではあまり見かけることは少なくなりました。
このゲームの洋風バージョンが「バックギャモン」として知られています。
「絵すごろく」とは
一般的に知られているすごろくは、この「絵すごろく」といわれます。
この遊びの原型とされる「浄土すごろく」は、極楽の世界への旅を模したものでした。
時代が下ると「東海道すごろく」や「昇進すごろく」などのバージョンが登場し、多くの人々に楽しまれるようになりました。
大正期には、雑誌『少年倶楽部』の付録としてさまざまな絵すごろくが紹介されています。畳むとコンパクトになるため、新しい年の特別な付録として愛されるようになっていくのです。
サイコロを振って駒を動かす簡単なルールと、結果が運に左右される要素が、お正月の家族の時間に最適といえます。
近年では、ルーレットを使ったバージョンも増えてきました。現代の「人生ゲーム」は、実際には「昇進すごろく」の現代版ともいえるでしょう。
「めんこ」の背景・起源と楽しみ方
現代の「めんこ」は、主に厚紙を材料として使用していますが、江戸時代には、顔(面)の形を模した粘土製の「どろ面子」が存在し、この名前から「めんこ」と称されるようになったのです。
どろ面子は約2cmの直径と、約5mmの厚みを持つ円形で、壊れるまで投げあったり、おはじきのように打ち合わせる遊び方が主でした。
古代の遊びは、魔除けとしての意味合いも持っていたといわれており、非常に魅力的です。
明治時代には鉛製のめんこが生まれ、その後、大正時代に進化して紙のめんこが広まりました。形状としては「円めん」と「四角めん」の2種類が存在します。
表面には、相撲の選手や野球選手、さらには漫画のキャラクターなどの絵柄が印刷されていました。時代のブロマイドのような役割を果たして、多くの少年たちの間で流行しています。
めんこの遊び方
基本的なプレイスタイルは、床上のめんこに向かって、自らのめんこを投げ、相手のめんこを動かすことです。
遊ぶ方法は、以下に紹介するようにいくつか存在しますが、勝利者が敗北者からめんこを受け取ることは共通しています。
そして、最も多くのめんこを持っている者が勝者となるのです。
- 起こし:参加者全員が等量のめんこを配置し、ほかの人のめんこを裏返せたら、それを獲得する
- はたき:地面に円を描き、その中心に各参加者が同数のめんこを置き、ほかの人のめんこを円外に押し出せたら、それを獲得する
- 落とし:箱やテーブルの上で、各参加者がめんこを使い、ほかの人のめんこを落とせたら、それを獲得する※ 地域によっては、名称や特定のローカルルールが存在しています。
めんこは厚紙製のため、自身でカスタマイズすることも可能です。
たとえば、滑らかさを増すためにテープを貼ったり、重さを増すために溶けたロウを塗布したりします。また、複数のめんこを合わせて強化するなどの方法も考えられました。
「お手玉」の背景・起源と楽しみ方
「お手玉」は、古くから親しまれてきた伝統的な遊びの一つです。お手玉の起源については、古代ギリシャにおける羊の骨を利用した遊びが始まりだともいわれています。
日本へは、奈良時代に「石名取玉(いしなとりだま)」として中国から伝えられたようです。法隆寺にもその名残が見受けられ、また、聖徳太子がこの遊びを楽しんでいたとの伝説も残っています。
平安時代に人々の間に広まったのが、石を使った「石なご」という遊びです。
その後、江戸時代を迎えると、袋に小豆(あずき)や大豆(だいず)などを詰めた現代的なお手玉としての形が定着しました。
お手玉の技は、手先の敏捷性を鍛える効果があり、脳へのよい刺激となります。
それにより、集中力や手の動きの柔軟性を高めることが期待され、日本の器用な技術の発展に一役買ってきました。近年では、脳の活性化や老化予防の効果も注目されています。
お手玉の遊びには、多様なバリエーションが存在し、伝統的な技や新しい技を楽しむことが可能です。
2つのお手玉を使用した4つの技
1つ目の技は、お手玉を左右で1つずつ持ち、同時に空中に放おってキャッチする繰り返しです。技を習得したら、お手玉の数を増やして挑戦するのもよいでしょう。
2つ目の技は、お手玉を左右で1つずつ持ちながら空中に放り、手の甲でキャッチします。そして、そのまま手の甲から再び放おって手でつかむ技です。
3つ目の技は、左右で1つずつ放り上げ、手を叩いた後にキャッチします。手を叩く回数をどれだけ増やせるかがポイントです。
4つ目の技は、1つのお手玉を右手に置いて放り上げて右手の甲でキャッチし、もう1つのお手玉を左手の手の甲から放り左手の平でキャッチします。この左右逆の動作を、両方同時に行えるかがカギです。
複数のお手玉を用いた技
「親玉」としてのお手玉を放り、その間に床に散らばったお手玉を集め、親玉とともにキャッチする技です。初めは床のお手玉を1つだけ集め、慣れたら集める数を増やしていきます。
何人かで楽しむ場合は、失敗したら次の人に交代するようにしましょう。伝統的なお手玉の数え歌に合わせて行うと、より楽しめます。
ちなみに、お手玉の数え歌としては、「あんたがたどこさ」「お咲ばあちゃん数え歌」「一かけ二かけて」などが有名です。
「独楽(コマ)」の背景・起源と楽しみ方
お正月といえば「独楽」を思い浮かべる方も多いでしょう。
しかし、驚くことに、独楽の歴史は非常に古く、紀元前2000年から1400年頃のエジプトで最も古い独楽が発見されています。その頃から、このシンプルな木製の遊びが楽しまれていたことには感動すら覚えます。
日本に独楽が入ってきたのは、奈良時代の唐(とう)や高麗(こうらい)からとされています。
起源については、高麗という地名が「こま」として日本に伝わり、その名が定着したというのが有力な説です。そして、文字としては「独楽」という漢字が使われるようになりました。
はじめは貴族の間で流行った遊びでしたが、江戸時代を境にして、庶民の間でも広まったとされています。
独楽の回転する姿は、事物がスムーズに進展する縁起を象徴しており、子供が無事に成長して自立する願いも込められているのです。
独楽の遊び方
遊び方としては、指を使って軽く回すタイプや、紐を使って勢いよく回すタイプがあります。
おもな独楽の分類として、デアボロ型のものやベエ型のものが挙げられます。2つの違いは、中心に軸を通しているかいないかです。
そして、その回転する姿の美しさを競ったり、ほかの独楽とぶつけて戦ったり、または、さまざまな技を駆使したりなど、遊び方は多岐にわたります。
紐を使う独楽には、巻くテクニックも必要です。技のコツを知っている人にアドバイスを受けると、さらに楽しめるでしょう。
「けん玉」の背景・起源と楽しみ方
「けん玉」という遊びは古くから親しまれていますが、その起源は日本独自のものではなく、フランス、ギリシャ、中国などからの影響が考えられています。
江戸時代、シルクロードを経て日本に伝わった際には、鹿の角から作った玉を紐で繋いで遊ぶ道具として紹介され、失敗するとお酒を飲むゲームとしても楽しまれていました。
このことは『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』という江戸時代の資料にも記載されており、当時は大人の娯楽として使われていたようです。
大正時代に現代に近い形のけん玉が登場し、「日月ボール(にちげつぼーる)」として人々の間で広まりました。
玉を日の光、浅い皿部分を三日月に見立てたこの名前は、昭和に入ると「けん玉」という名前で広く知られるようになり、子供たちの人気のおもちゃとして定着します。
けん玉の醍醐味は、正確な持ち方、体のバランス、そしてタイミングを要する技巧です。
日本けん玉協会では、基本の技から高度なものまで、10級から六段に至るまでさまざまな段階を設けて技の習得を推奨しています。
「だるま落とし」の背景・起源と楽しみ方
伝統的な遊びである「だるま落とし」の起源は完全には明らかではありません。しかし、そのだるまの形は禅宗の開祖・達磨大師を元にしているといわれています。
通常のだるまは、転ぶと再び立ち上がる特性を持ち、新年を迎える際に願い事をして一方の目を描き、願いが成就した時にもう片方の目を描き入れるという風習があります。
年々、新しい大きさのだるまを手に入れ、1年間の願い事を新たにすることもあります。
しかし、「だるま落とし」の遊びに使うだるまは、一度倒れると自らは起き上がりません。そのため、落とさずにうまく積み上げる技術が求められます。
だるま落としの方法とルール
だるま落としとは、上の部分が最後まで倒れないように、下の部分を小槌で打ち、段々と取り除いていく遊びのことです。
上手にバランスを取りながら打つのはチャレンジャー精神を刺激するでしょう。
力加減や打つ方向を工夫しながら進めるところが醍醐味です。ひとりで挑戦するもよし、複数の人と交互に打つのもまた一興です。
おわりに
羽根つき、凧あげ、かるた、福笑い、すごろく、めんこ、そして、お手玉、コマ(独楽)、けん玉、だるま落としなど、これらはいずれも日本の文化や歴史の中で受け継がれてきた伝統的な日本の遊びです。
これらの遊びには、それぞれ起源や背景があり、単なる遊びで終わらない深い意味や歴史が含まれています。
子供たちがこれらの遊びを通じて手先を器用にしたり、集中力を養ったりするだけでなく、過去の文化や歴史に触れることができるのも魅力でしょう。
現代においても、これらの伝統的な遊びは子供たちだけでなく大人たちにも楽しんでもらえるものとして、再評価されるべき宝物です。
これらの遊びを通して、過去から現在、そして未来へと繋がる日本の文化を感じ取り、次世代へと受け継いでいくことが大切であると思われます。