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勿来の関公園の義家神社へ行ってみた!詩歌の古道も散策(福島県いわき市)

勿来の関公園-00 旅、旅行
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今回は、福島県いわき市の「勿来関(なこそのせき)」跡にあるという「義家神社」に行ってみました。

茨城県との県境に位置する勿来関は、はるか昔に北の先住民族の南下を防ぐために重要な役割をしていた関所です。

その関所跡は、今や「勿来の関公園」として訪れる人々の憩いの場になっています。

その公園の中に、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)とも呼ばれている源義家(みなもとのよしいえ)に由来する神社があるということなので、実際に見てみたかったのです。

また、公園の中には、昔の歌人が勿来関を詠んだ歌碑が並んでいる「詩歌の古道」もあるので、いっしょに紹介していきますね。

勿来の関公園へのアクセス

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JR勿来駅

アクセス方法

  • 車の場合:常磐自動車道 勿来ICから約10分
  • 電車の場合:JR常磐線 勿来駅から約2.5km
    ・タクシー:約5分
    ・バス:勿来駅⇒「関北口」下車後、徒歩約15分
    ・徒歩:勿来駅から約30分

連絡先:0246-43-0033((一財)いわき市公園緑地観光公社)

所在地:〒979-0146 福島県いわき市勿来町関田長沢地内

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勿来駅前の源義家像

JR勿来駅から、東京方面(上の写真の歩道橋がある方向)へ向かった右手の山の上に、勿来の関公園があります。

春には桜、秋には紅葉が鑑賞できる、とても美しい公園です。

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義家の詠んだ歌も設置されています。

勿来関と源義家の関係とは?「義家神社」も紹介

「文学歴史館」からの眺めです。塀になっているガラス板には小野小町の歌が書かれています。

「勿来関」の勿来とは、古語で「来るな」という意味をあらわす言葉といわれています。南下しようとする先住民族に対して、「ここに来るな」という意味を込めて「勿来関」にした、というのが通説です。

また、勿来関は、古くから和歌の歌枕としてもよく使われています

しかし驚くことに、勿来関はいまだに本当にあったという物的な確証が発見されていません

勿来関があったといわれているのは、和歌に詠まれていたり、奥州三関との伝承があったりするという状況的な証拠からなのです。

その中でも、1083年に源義家が勿来関を訪れた際に詠んだ歌は有名で、この歌によって勿来関が歌枕になったとさえいわれています。

ちなみに、奥州三関とは、福島県の白河関(しらかわのせき)と山形県の念種関(ねずがせき・念珠ヶ関とも書く)、そして勿来関をあらわす言葉です。

源義家と勿来関の関係って?訪れた理由を紹介

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園内にある源義家像です。

そもそも、源義家って誰?と思う人も多いのではないでしょうか?

源義家(1039年 – 1106年)とは、河内源氏の棟梁であり、源頼義の長男として平安時代後期に活躍した武将です。八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)とも呼ばれ、いわき市では子どもの文武両道を願う「いわき絵のぼり」にも描かれています。

とくにその武勇が知られたのは、陸奥の豪族安倍貞任(あべのさだとう)らを討ち取った前九年の役(1051年)と、奥州清原氏の家督相続争いを鎮めた後三年の役(1083年)での活躍です。

この後三年の役で奥州へ向かう途中に立ち寄ったのが、勿来関といわれています。そして、そのあまりの景観の美しさに読んだ歌が、千載集にも載っている

「吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」(ここは勿来関なのだから、その名の通りに風よ来るな。美しく咲く桜をそのままにしてほしい。それなのに風が吹き、道いっぱいに山桜の花が散り敷いている)

といわれているのです。

この歌は、風に吹かれて散っていく桜の美しい情景を表現しているとされています。

その後、白河天皇の護衛を務めた義家は、正四位下(しょうしいげ)までのぼりつめ、出羽守、下野守、陸奥守、鎮守府将軍などの役職に就きました。

義家が勿来関を訪れた際に、持っていた弓を掛けて休んだとされる松の木が「弓掛の松」といわれています。

ただ、残念ながら松の木はすでに朽ちてしまいました。今は、切り株だけが残されています。

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「弓掛の松」の切り株です。

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これが義家神社!思わず拝みました

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こんもりとした森の中に神社はあります。

公園内にある歴史資料館「文学歴史館」に通じる階段を登りきった森の中に、「義家神社」はありました。

思っていたよりもこじんまりした、まるで祠(ほこら)のような神社です。

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義家神社の案内看板です。

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小さな祠のような神社が見えてきました。

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とても小さな神社ですが歴史を感じます。

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供えられたお金が並んでいます。

いつ、誰が建てたのかがよく分かっていないとされている「義家神社」ですが、歴史を感じさせるたたずまいをしています。

前面には、多くの人がお詣りしたと思われる小銭がたくさん並んでいました。小さくても、しっかりと神社の造りをしていて、しめ縄もさがっています

奥には古びた扉が見えるので、中には御神体が安置されているのでしょう。神秘的な空気を感じて思わず拝んでしまいました。

知る人ぞ知る神社なのかもしれません。

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神社のそばには石碑と歌碑もあります。

憩いの場所「勿来の関公園」の見どころ

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勿来の関公園の案内図です。1回クリックすると別表示になり、さらにクリックすると拡大します。

昔は侵入者の南下を防ぐ要所として戦いの場となっていたであろう勿来関は、今や「勿来の関公園」として、訪れる人々の憩いの場となっています。

春には桜、秋には紅葉の景観が楽しめる素晴らしい公園です。

園内には、さまざまな展示会が開かれる「文学歴史館」と体験学習のできる「吹風殿(すいふうでん)」があり、散策に疲れた訪問者が足を休める場所にもなっています。

また、園内にはたくさんの遊歩道が設置され、季節のよい日にはゆったりと散歩することもできますよ。

とくに「詩歌の古道」と呼ばれる遊歩道にはたくさんの歌碑が並んでいて、有名な歌人が詠んだ勿来関に由来する歌が刻まれているんです♫

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観光順路の案内図です。

勿来関が詠まれた歌碑が並ぶ「詩歌の古道」

ここでは、「詩歌の古道」の歌碑に刻まれているたくさんの歌の中から、いくつかの歌を紹介していきますね。

園内のメインの道を歩いていくと、「詩歌の古道」の案内板がありました。

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詩歌の古道の入り口に着きました。隣には源義家像があります。

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入り口を入ったところに、歌碑の一覧の書かれた立て看板がありました。その先には、ずっと登り坂が続いています

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入るとすぐにある「関東の宮」です。国境の守り神として祀られたお宮といわれています。

最初の歌碑は斎藤茂吉(さいとうもきち)の詠んだ歌です。隣には、詳細を記した案内板も立っています。

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「みちのくの 勿来へ入らむ山がひに 梅干ふヽむ あれとあがつま」(陸奥の勿来の関に行く山間の道で梅干を口に含む私と私の妻)

斎藤茂吉(1882年 – 1953年)は、日本の歌人であるとともに精神科医でもありました。山形県出身で、東京帝国大学医科大学を卒業後、精神科医として活動しています。一方で、中学時代から和歌に興味を持ち、正岡子規の影響を強く受けて作歌に熱中しました。大正から昭和前期にかけて活躍したアララギ派の中心人物で、17冊の歌集を発表し、1万7907首の歌を詠んでいます。

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下の歌碑は、永野修身(ながのおさみ)の歌です。

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「山桜 われも日本の 武士にして」(山桜よ、私も源義家とゝ日本の武士であるのだから)

永野修身(1880年 – 1947年)は、日本の海軍軍人であり、教育者です。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期の出身で、最終階級は元帥海軍大将でした。第24代連合艦隊司令長官、第38代海軍大臣、第16代軍令部総長を歴任し、海軍の三顕職を全て経験した唯一の軍人です。

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登り坂はまだまだ続いています。

下の歌碑は、海上比佐子(うながみひさこ)の詠んだ歌です。

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「桜木の 石にもなりて くちぬなを 関のこなたに とどめけるかも」(桜の木の化石になっても、その名は廃れることなくここ勿来関にとどめることだよ)

この歌は、その地を離れる者の切なさと、故郷への思いを詠んだものと解釈されています。

海上比佐子(1860年 – 不明)は、江戸時代に生まれた日本の歌人であり、本名は海上壽子、旧姓は上林です。とても多くの作品が残されていて、「谷の朽葉」や「ゆかりの花」などがよく知られています。繊細な感情表現と美しい言葉遣いが特徴です。

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下の歌碑は、飛鳥井宋勝(あすかいそうせい)の詠んだ歌です。

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「九面や 潮満ち来れば 道もなし ここを勿来の 関といふらん」(九浦は、満潮になると道がなくなってしまう。道を閉ざすここを勿来関というのだろうよ)

飛鳥井宋勝は、平安時代の歌人といわれていますが、詳細な資料が残されていません。ちなみに、飛鳥井家は、藤原北家花山院流難波家の庶流である公家・華族であるとされています。

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下の歌碑には、源師賢(みなもとのもろかた)が詠んだ歌が刻まれています。

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「東路は なこその関も あるものを いかでか春の 越えて来つらん」(春は東から来るというけれど、東路には「来るな」という勿来関があるのに、春はどうやって来るのだろうか)

源師賢(1035 – 1081年)は、平安時代の貴族であり歌人です。叙爵(じょしゃく)後、少納言を経て康平6年(1063年)には後冷泉天皇の五位蔵人に補任、その後も弁官を歴任しています。

歌人としては、『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』などの勅撰和歌集に16首が採録されています。今回の勿来関を詠んだ歌も、この後拾遺和歌集に収録された作品の1つです。歌人のほか、和琴の名手としても知られています。

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さらに道は続きます。

下の歌碑は、和泉式部(いずみしきぶ)の詠んだ歌が刻まれています。

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なこそとは 誰かは云ひし いはねとも 心にすうる 関とこそみれ(来ないでなんて誰が言ったというの。いいえ誰も言っていないわ。あなたが勿来関みたいな心の隔てを作って、私に会いに来ないだけでしょう)

和泉式部(978年頃 – 不明)は、平安時代中期の歌人であり、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人とされています。歌においては、その感情表現の豊かさと繊細さが特徴です。彼女の書いた「和泉式部日記」は、今でも愛読者が多く、たくさんの歌が収録されています。

勿来関を詠んだ今回の歌は、 鎌倉時代の勅撰和歌集である「玉葉和歌集(ぎょくようわかしゅう)」に収録されています。

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登り坂はさらに続きます。

今度の歌碑には、小野小町の詠んだ歌が刻まれています。

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みるめ刈る 海女の往来の 湊路に 勿来関を われすえなくに(勿来(来ないで)なんていう関は据えていないのに、見る目(会う機会)離れてるじゃない。(最近会いにきてくれないのね))

小野小町(生没年不詳)は、平安時代前期の9世紀頃の女流歌人で、六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人とされています。出身は小野一族とされていますが、全国に彼女の墓とされる場所が存在し、その生涯の詳細は不明です。

詠まれた歌の多くは『古今和歌集(こきんわかしゅう)』や『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』などに収められ、情熱的な恋愛感情が反映されているのが特徴です。今回の勿来関を詠んだ歌は、『新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)』に収められています。

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標高が高くなり、海が見えてきました。

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登り坂はまだ続きます。

下の歌碑には、源信明(みなもとのさねあきら)が詠んだ歌が刻まれています。

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「名こそ世に なこその関は 行きかふと 人もとがめず 名のみなりけり(名前こそ「来るな」などという勿来関だが、往来する人をとがめたりしない。なんだ、名前だけの関だったのだ)

源信明(910年 – 970年)は、平安時代中期の貴族・歌人であり、三十六歌仙の一人とされています。自身が編纂した歌集は『信明集』です。なお、今回の勿来関を詠んだ歌は、『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』に収められています。

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やっと頂上にたどり着きました!思ったよりも長い道のりでした。

ただ、詩歌の古道には、今回紹介した歌以外にも、紀貫之(きのつらゆき)や西行(さいぎょう)、それに後嵯峨天皇(ごさがてんのう)などが詠んだ歌碑がたくさん並んでいます。

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休息所です♫

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海がはっきりと見えます。

これは何?朽ちた神社を発見!

「詩歌の古道」頂上から、広くなっている道をそのまま進んだら、目の前に義家神社と同じような、小さいサイズの神社が見えてきました。

しかし、今度の神社はかなり朽ちていて、修復もされていません。案内看板もないために、誰が祀られている何という神社なのかもわかりません。

あとで、公園内の案内看板を確認してみましたが、この場所には何も記されていませんでした。いったいこの神社は、、、、、、謎です。

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突然、目の前に朽ちた神社が、、、、、、

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修復もされていません。でも、たしかに神社です。

この朽ちた神社のそばには、芭蕉の歌碑が立っていました。何か関係があるのでしょうか。

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「風流の はしめやおくの 田植えうた」(俳句のはじまりだったんだ、奥州の田植え歌は)

松尾芭蕉(1644年 – 1694年)は、江戸時代前期の俳人です。もともとは伊賀国(現在の三重県)の藩士でしたが、若くして身分を捨て、町人の世界に足を踏み入れています。

元禄二年に弟子の河合曾良(かわいそら)を伴って江戸を発ち、東北から北陸を経て美濃国の大垣までを巡った旅の紀行文『おくのほそ道』は有名です。今回の歌碑にあるこの句も『おくのほそ道』に収録されており、須賀川で詠まれています。

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なんと!義家神社が見えてきました

謎の神社を過ぎてそのまま進んでいると、なんと、義家神社が見えてきました!「詩歌の古道」は、義家神社がある場所を、文学歴史館とは反対方向から登ってきていたのです。

なので、帰り道は文学歴史館の階段を降りることで、すぐに園内のメインの道路にでることができました(*´ω`*)

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あれは、義家神社では?

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たしかに義家神社でした。

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いにしえを感じる歴史資料館「文学歴史館」

園内にある文学歴史館では、さまざまな展示会が開かれます

今回、2023年の年末から2024年にかけては、「刀・刀・刀 2」として、福島県の刀剣の展示や刀匠の歴史などの紹介をしています。

展示期間:令和5年11月3日(金)~令和6年2月18日(日)

観覧料は以下になります。

  • 一般:330円(280円)
  • 中・高・専修・大学生:220円(170円)
  • 小学生:170円(110円)
    ※( )内は20名以上の団体料金

公式サイト:いわき市勿来関文学歴史館

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「文学歴史館」です。

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この階段を登っていくと「義家神社」のある広場に行けます。

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「刀・刀・刀2」が開催されています。

さまざまな体験学習ができる「吹風殿」

園内にある「吹風殿」は、平安時代の貴族の屋敷に用いられていた寝殿造り(しんでんづくり)を模した建物です。そして、この建物の中では、さまざまな体験学習が実施されています。

入場料は無料です。立派なトイレも設置されています。

参考サイト:勿来の関公園体験学習施設 吹風殿

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無料で入場できます。

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本殿の出入り口です。

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文学歴史館のお知らせ看板があります。

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俯瞰(ふかん)で見た吹風殿です。

吹風殿の猫ちゃん

園内には、もう何年も2匹の猫ちゃんが住みついています。勿来の関公園を訪れる度に、元気な姿を見せてくれますよ。

猫ちゃんは、おもに吹風殿の敷地内か、その駐車場周辺をブラブラしています

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今回は、吹風殿の裏口に続く道にいました!

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ハチワレの猫ちゃんです。

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堂々とした面構えです。

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もふもふです♡

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もう1匹は、吹風殿の駐車場にある休息所の所にいました。

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顔の半分が黒い猫ちゃんです。

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ハチワレちゃんが近づいています。

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仲良しの2匹です。

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寝てしまいました。

遊歩道と展望台

園内にはたくさんの遊歩道があります。

その中でも、吹風殿の駐車場に登り口のあるのは、展望台へ行ける遊歩道です。

どんな景色が見られるのか、ちょっと行ってみました♫

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「展望台」の案内看板です。

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けっこう急な階段です。

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うっそうとした茂みが続いています。ちょっと疲れて来ました。

情けないです(´;ω;`)

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マイナスイオンを感じそうな茂みが続きます。

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休息所のような屋根が見えてきました。

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頂上です。

やっと頂上に着きました。ここ全体が展望台なのでしょうね。

茂みの先に、海が望めます。

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小名浜の臨海工業地帯が望めます。

登ってきたのと別な道があるので、下りはそちらの道を行ってみます。

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道を茂みが覆っていて、まるでトンネルのようです。

道の先に吹風殿の駐車場が見えてきました。

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やっと駐車場に着きました。

けっこうしんどかったですが、景色はよかったです♫

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奥に見えるのが吹風殿の入り口です。

勿来の関公園の桜と紅葉

勿来の関公園は、春には桜、秋には紅葉を楽しむことができます。とくに、公園内のメインとなっている道路の両側には、季節になると垂れるように桜や紅葉が咲き誇ります。

それに、無料で入場できる「吹風殿」の敷地でも、桜や紅葉を楽しめますよ。

桜の見頃はいつ?

勿来の関公園の桜の見頃は、4月上旬から中旬にかけてです。公園内には、ソメイヨシノや山桜、それに大島桜など、約1200本の桜が植えられています。

園内では毎年3月下旬から4月上旬の午後6~9時に提灯が灯されて、夜の桜が楽しめます♫

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紅葉の見頃はいつ?

勿来の関公園の紅葉は、毎年10月中旬から11下旬が見頃です。ケヤキやイチョウ、イロハモミジにメタセコイアなどの紅葉が楽しめます。

まるでトンネルの中を歩いているような感覚を味わえますよ♫

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園内のメインの道路です。

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吹風殿を彩る紅葉です。

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吹風殿正面入口です。

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吹風殿の裏手です。

おわりに

今回は、人々の憩いの場所となっている「勿来の関公園」と、園内にあるといわれている「義家神社」をメインに、公園の見どころを紹介してきました。

義家神社は、その小ささにちょっと驚きましたが、歴史と威厳を感じるたたずまいをしていました。

また、春には桜、秋には紅葉のスポットとなる勿来の関公園は、いつ来ても心がやすらぎます。吹風殿の駐車場にいつもいる2匹のにゃんこも、心をなごませてくれますよ。

さわるともふもふです♡

勿来の関公園を出ると目の前が勿来海水浴場ですので、夏に来れば海水浴も楽しめます。そして、寒い季節の園内は、雪に埋もれて別世界のようです。

実在の確証がないという、ちょっとミステリアスな勿来関跡につくられた「勿来の関公園」は、いつの季節に来ても素晴らしい景観を見せてくれます

 

 

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